インクルーシブ教育について考えるセミナー

毎年行っているセミナーに今年も行ってきた。

 

うーん,青山先生のお話はいつ聞いてもいい。

でも,このセミナーに来年行くかどうかは微妙だな。

なんかスキルが大切なのはわかっているつもりだけど,

スキルの話はどうしても退屈に感じる。

必要感がないからなんかなあ。

 

今回,一番心に残ったのは,

「障害を受け入れて,そのまま(できないまま)でいいという違和感」

かなあ。

 

僕自身,特別支援教育について意識して本を読んだり話を聞いたりしてきて,最近は「こういう凸凹があるんかなあ」と思ったらそれ以上求めるのではなく「まあ,人それぞれ得意不得意があるし,まあいいか」って感じで,すごく寛容になったと思う。でも,課題は感じていて,そのことについてはいろんな角度から考えている。

 

6月の就労支援をされている方の講演で「発達保障」という言葉を聞いてから,それまでなんとなくだった課題意識が「じゃあ,どうやって適切な支援・手立てをしていくのか」というけっこうはっきりしたものに変わった。

 

そんな中で迎えた昨日,

南先生が

「障害を受け入れて,そのまま(できないまま)でいいという違和感」

ということを言われていて,まさに自分のことだと思った次第。

 

集団に対する手立てと個に対する手立てのバランスという話も出てたけど,

自分自身,個に対する手立てがなさすぎるなあ。

 

これまではそこまでの余裕がなかったということか。

 

特に学習場面における困り感を抱えている子への支援・手立ての引き出しが

すごく少ないなあと感じる。

 

この夏,しっかり勉強しなさいってことやろな。

 

あと,インクルーシブ教育って何なのかって話。

運動会のリレーで例えば車いすの子がいた場合,どうするか。

「その子に対する特別ルールをつくるんじゃなくて,

ルール全体を見直すことで

その車いすの子を含めた全員が参加できるようにする」っていう考え方。

みたいなことを言われていた。

 

で,今日たまたまYouTubeで「夢の鍵」の落合陽一の回をみた。

そこで,聴覚障害者も楽しめる音楽会を開くまでの準備と

その本番の様子が紹介されていた。

番組の中に落合陽一が言った言葉が

昨日のセミナーで言っていた言葉に重なるなあと思ったので書いておこうと思う。

 

「耳が聞こえないとか 聞こえがいい人も悪い人もいる中で

それに対して音楽をやろうと思っているわけじゃなくて

音楽を体で聞くとか 音楽を違う形で聞くと

聞こえの程度に関わらず みんな楽しいっていうことがある

それをみんなと一緒に作っていくことが僕にとってはすごく楽しい」

 

落合陽一は障害という言葉が嫌いで,ダイバーシティ(多様性)という言葉を使う。

LITALICO長谷川は,障害はその人がもっているのではなく,その人と周囲の人,もしくはその人と社会との関係の中にあると言う。

落合陽一は,その関係性にある障害をテクノロジーでなくそうとしているんだと思う。

でも,上の言葉にあるように,障害どうこうではなく,社会全体の見方を変えるというか,音楽会の場合でいうと,音楽の新しい楽しみ方をテクノロジーによってつくろうとしているんだと思う。

 

やっぱ,すげえわ。落合陽一。