読んで良かった本の紹介

個人的に読んでおもしろかった本を紹介します。

 

今日は2冊。 

深い学びを促進する ファシリテーションを学校に!

深い学びを促進する ファシリテーションを学校に!

 

岩瀬先生のブログで紹介されていて,ポチってみました。

この本を読んだ勉強熱心な同僚の先生がショックを受けてました。

「今まで自分がやってきたことはなんだったんだ」と。

まあ,いろんな先生がいた方がいいと思います。

教育関係者ではない人が書いた教員向けの本という珍しい本です。

読みやすいし,おすすめです。

 

 

学校は、何をするところか?

学校は、何をするところか?

 

 先日の広島でのセミナーにも参加してきました。

まあ,セミナーの方は本を読んで行った身としては,

正直「うーん」という感じでした。笑

しかし,この本は読んでいて,前述の同僚の先生ではないですが

「自分の価値観がガンガン揺さぶられる」強烈なメッセージを感じました。

 

ですから,たとえば「一斉授業か,協同学習か?」といった問いも,不毛な対立を煽るだけの無意味な問いだと考えています。方法というのは,目的や状況によって使い分けたり組み合わせたりすればいいわけです。一斉授業が絶対に正しいわけでも,絶対に間違っているわけでもなく,目的や状況に応じて使い分ければいいだけの話なのです。

 

うんうん。「問い方のマジック」をよく言われる苫野先生らしいお話です。

 

ただその上で,一斉授業・一斉カリキュラムが主流の時代は,さすがに終わったと思っています。これは近代公教育が整備された頃に発明された,大量生産型教育の残滓なのです。

 

先ほどの前置きからのこの言い切っちゃう感じ。これは強烈。

「残滓(ざんし:意味は残りカス)」なんて,落合陽一ぐらいしか使わない言葉かと思ってた。

 

菊池実践はだれもが一度は目にしていると思いますが,

その価値を苫野先生が菊池先生と対話する中で明らかにされている感じです。

菊池実践のハウツー本を何冊も読むより,この本を読んだ方がその本質に迫れるんじゃないかと思います。

 

 

ついでに,もう一つ紹介。

こちらは,YouTubeニコニコ動画で「平成最後の夏期講習」で検索。

 

落合陽一と小泉進次郎の2人が各界のリーダーたちを集め,

「平成最後の夏期講習」と銘打って,

日本の社会問題についてリーダーたちが話し合い,

今すぐできるアクションプランまでを打ち出すという企画。

 

個人的には,「教育・コミュニケーション」はもちろんですが

「子ども」グループが良かったです。

 

「この社会の中で,ボランティア(社会的に価値ある行動)をする人をどうやって増やしていくか?」という話は,学級経営にもすごく通じるなと思いました。

 

自主性を重んじる学校教育の世界では,外発的動機づけは一定の効果はあるものの,いかに内発的動機づけにシフトしていくかという視点がつきまとう気がします。

しかし,現代の社会問題の話し合い(しかも,各界のリーダーたちの)では・・・

 

この先,僕がどんなことを書こうとしているかはぜひ動画を見てみてください。

 

以上です!

 

 

 

 

 

インクルーシブ教育について考えるセミナー

毎年行っているセミナーに今年も行ってきた。

 

うーん,青山先生のお話はいつ聞いてもいい。

でも,このセミナーに来年行くかどうかは微妙だな。

なんかスキルが大切なのはわかっているつもりだけど,

スキルの話はどうしても退屈に感じる。

必要感がないからなんかなあ。

 

今回,一番心に残ったのは,

「障害を受け入れて,そのまま(できないまま)でいいという違和感」

かなあ。

 

僕自身,特別支援教育について意識して本を読んだり話を聞いたりしてきて,最近は「こういう凸凹があるんかなあ」と思ったらそれ以上求めるのではなく「まあ,人それぞれ得意不得意があるし,まあいいか」って感じで,すごく寛容になったと思う。でも,課題は感じていて,そのことについてはいろんな角度から考えている。

 

6月の就労支援をされている方の講演で「発達保障」という言葉を聞いてから,それまでなんとなくだった課題意識が「じゃあ,どうやって適切な支援・手立てをしていくのか」というけっこうはっきりしたものに変わった。

 

そんな中で迎えた昨日,

南先生が

「障害を受け入れて,そのまま(できないまま)でいいという違和感」

ということを言われていて,まさに自分のことだと思った次第。

 

集団に対する手立てと個に対する手立てのバランスという話も出てたけど,

自分自身,個に対する手立てがなさすぎるなあ。

 

これまではそこまでの余裕がなかったということか。

 

特に学習場面における困り感を抱えている子への支援・手立ての引き出しが

すごく少ないなあと感じる。

 

この夏,しっかり勉強しなさいってことやろな。

 

あと,インクルーシブ教育って何なのかって話。

運動会のリレーで例えば車いすの子がいた場合,どうするか。

「その子に対する特別ルールをつくるんじゃなくて,

ルール全体を見直すことで

その車いすの子を含めた全員が参加できるようにする」っていう考え方。

みたいなことを言われていた。

 

で,今日たまたまYouTubeで「夢の鍵」の落合陽一の回をみた。

そこで,聴覚障害者も楽しめる音楽会を開くまでの準備と

その本番の様子が紹介されていた。

番組の中に落合陽一が言った言葉が

昨日のセミナーで言っていた言葉に重なるなあと思ったので書いておこうと思う。

 

「耳が聞こえないとか 聞こえがいい人も悪い人もいる中で

それに対して音楽をやろうと思っているわけじゃなくて

音楽を体で聞くとか 音楽を違う形で聞くと

聞こえの程度に関わらず みんな楽しいっていうことがある

それをみんなと一緒に作っていくことが僕にとってはすごく楽しい」

 

落合陽一は障害という言葉が嫌いで,ダイバーシティ(多様性)という言葉を使う。

LITALICO長谷川は,障害はその人がもっているのではなく,その人と周囲の人,もしくはその人と社会との関係の中にあると言う。

落合陽一は,その関係性にある障害をテクノロジーでなくそうとしているんだと思う。

でも,上の言葉にあるように,障害どうこうではなく,社会全体の見方を変えるというか,音楽会の場合でいうと,音楽の新しい楽しみ方をテクノロジーによってつくろうとしているんだと思う。

 

やっぱ,すげえわ。落合陽一。

研究授業の振り返り

1 今回の研究授業について 〜授業前に考えていたこと〜

 ・【目標と評価】今回の授業で僕が子どもたちにさせたかったのは,「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」ということだ。正直ふだんの授業ではそこまで考えないけど,研究授業をするときは「この時間で子どもたちにさせたいことは一言でいうと何か?」について自分の中ではっきりさせることを大切にしている。ポイントは“一言でいうと”というところ。研究授業はしっかり教材研究するから,1時間にいろいろと詰め込みたくなる。でも,本時で子どもたちにさせたいことを1つに絞るところまでが教材研究なんだと思う。まあ,今まで詰め込み過ぎて時間内に収まらなかったり,「結局何させたかったん?」という授業を山ほど観てきた。それは若い先生であっても,ベテランの先生でもあっても変わらない。普段の様子を見ていて,「この先生はすげえなあ」っていう先生でも,やっぱりそういうことはあった。

・そんなこんなで,僕は「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」を本時の目標にした。(正確には,「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくろうとする(関心・意欲・態度)」)この目標にしたのは,既習事項(3年生)である「1Lを10等分して0.1Lをつくる」を用いて,本時の課題を解決させたかったから。

・肝心の3年生の教科書で「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」ところを確認すると,実際に10等分する作業(目盛りを入れる)はやっていないことがわかった。「10等分する」といっても,①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れるという3つのステップがある。子どもたちにとって,「1Lを10等分すると,0.1L」という知識自体は既習だが,「どうやって10等分するか」のHOWの部分は未習である。そこを踏まえて,授業の流れを考えた。

・評価が関心・意欲・態度だけというのはやっぱりマズいかなと思い,練習問題の小数第2位までの小数の読み取り?(この表現は怪しい・・・)も知識・理解で入れた。ついでに書いておくと,練習問題は2問は必要だと思っていた。本時の例題(最初にやる問題,本時のメイン)では,小数の読み取りが一応のゴールだけど,実際には0.01Lをつくったり,その定義を確認したりすることに多くの時間が割かれる。例題のあとに出てくる練習問題は当たり前だけど小数の読み取りなのである。これはなかなかできない。例題で一応小数の読み取りをやっているけれど,その読み取りをする途中にいろいろと邪魔が入っているから,小数の読み取りという作業の一連の流れが捉えづらい。特に低位の子たち(ワーキングメモリの小さい子たち)にとっては,多くの時間を割いたところばかりが頭に残り,練習問題と向き合ったとき,たぶんちんぷんかんぷんだと思う。だから,例題のあとの練習問題はみんなで一緒にやること・・・小数の読み取りの一連の流れを見せてあげることが必要だと思う。それをした上で,やっと自分でさせる練習問題だ。まあ,1,2回みんなでやったぐらいでは難しいだろうけど。

 

2 本時の最大の問題点 〜目標はやっぱり1つに絞るべきだった〜

・それは本時の目標を2つにしてしまったことだ。それが原因で,いろいろと不具合が出てしまった。

・まず,教師がしゃべりすぎたということ。目標を「10等分する」だけに絞っていたら,もっと余裕をもってできたと思うけれど,知識・理解(小数の読み取り)も目標に入れてしまったがために,時間的・精神的な余裕がなくなってしまった。クラス全体を見渡す余裕もなく,子どもたちの言葉に耳を傾けることもできず,ただ授業を進めることに一生懸命になってしまった。

・いや,本時の最大の問題点は,「10等分させることに固執した」ことなのかもしれない。協議会でも「10等分させる必要があったのか?」ということが話題になった。正直なところ,10等分する(①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れる)ことが子どもたちにとってどれだけ難しいことであるのか,僕自身がよくわかってなかった。子どもたちはよくがんばっていたけれど,僕の不親切なプリント(3mmずつ目盛りをとっていく)では手先の器用な子はなんとかできるかもしれないけれど,そうじゃない子にとっては相当厳しい。

・算数的には既習事項を使って問題を解くということは価値が高いとされている。しかし,算数では1時間1時間に学ばせなければならないことがちゃんとある。本時においてのそれは,練習問題の「小数の読み取り」なんだと思う。“させたいこと”と“させなければならないこと”のバランスをどう取るのか。研究授業が打ち上げ花火で終わらず,日々の授業にも生きるものにしようと思えば,“させなければならないこと”は必ず押さえなければならないと思う。

・では,本時はどうすればよかったのか。それは「10等分させる」のではなく,「10等分するというアイディアを出せたらOK」とすればよかったと考えている。子どもたちにとって未習であり負荷の高い作業である「10等分する」のHOWのところをさせようとしたがために,本時はめあてを出すまでに25分かかってしまったし,既習を使って自分でやるというよりは,先生の言うことを聞きながらなんとかついていくという感じになってしまった。

・僕が大切にしていた「10等分する」という作業は,子どもたちにとって既習ではなかったのだ。見方によっては,本時の大半の時間は「10等分する(①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れる)」のスキルを身につける時間になっていたのではないか。そう言われても仕方ないと思う。

 

3 本時の練習問題が解けるか否か

・本時の目標を考えるとき,何をもとにして考えるのか。その一つが練習問題だろう。例題ではいろいろなことをやりたくなるし,やらないとマズいんじゃないかとさえ思ってしまう。でも,まあ練習問題が解ければOKなんじゃないかと思う。中学校の数学の先生が「小学校は練習問題にもっと時間をかけた方がいいんじゃないか」と言っていた。教育委員会の先生が「本時の目標は知識・理解になってるけど,理解するのには1時間じゃ難しいよねえ」と言っていた。算数が堪能な先生は「知識や技能は単元末のテストでみる。1時間の授業では基本的にどの時間も数学的な考え方をみる」と言っていた。まあ,この辺りは,その人の教育観というか授業観というか算数科観というか,根っこのところにかかわるところかなと思うので,深追いはしない。

・いやー,それにしても冒頭に書いたように頭ではわかっていたつもりだったけど,実際に授業をするとなると,なんかいろんなことを考えてしまって,結局同じ轍を踏んでしまったなと思う。

 

研究授業 めあてまでの流れ

1 ノートを開く。「今日から,“小数”に入ります」

  日付,ページ数,ナンバー43

2 テレビをつける。「今日の問題はこちら」

 

3 はっぱマークと問題文,板書 

   → 子どもたち 問題文 読む

 

4 プリント配る,2枚掲示,やかん,ポット板書

 

5 「やかんにはいる水のかさは? ノートに書いてみて」

   ペア→ 1.6L

 

6 「1.6Lって,1Lと0.6L」

 ・0.6Lって,何が6こあるん?」 → 「0.1L」

 ・0.1Lって,なんだった?」 ペア→ 「1Lを10こに分けた1つ分」

「なるほど。1Lを10こに分けるんやね」でたらめに分けてみる

「えー」 ペア→「ちゃんと分ける」「等しく分ける」「等分する」

 

7 「じゃあ,これはダメなんやね」大きくバツ

  「じゃあさ,これを等しく分けるにはどうしたらいいの?」

  「長さを測る」「20cmです」「20÷10すればいい」

  「20÷10=2」「2cmずつめもりをうつ」「ほうほう」

 

8 「1めもり分が0.1Lで,0.1Lが6こ分だから0.6Lね」

 

9 「じゃあ,ポットはどうだろう?」

  「1Lと0.1Lが3つ分とあと少し」

  「問題はLで表そうってなってるよ」

  「あと少しLでいいかな?」「だめー」

  「じゃあ,今日はこのあと少しをLで表そう」

 

10 「あと少しのことを“はした”っていいます」

   めあて 板書 →子ども 読む   掲示・プリント配付

算数科の授業における考えの広がり,深まりとは?

前の記事の続きになります。

 

 

「算数科の授業における考えの広がり,深まりとは?」

これって,たてのつながりとよこのつながりなんじゃないかな?

と思っています。

 

まあ,広がり=よこのつながり

深まり=たてのつながり ですね。

 

 

よくある研究授業(4年の面積,5年の体積)は

よこのつながりを重視した授業じゃないかなと考えています。

 

よこのつながりとは,

本時の課題に対する解決策のつながりのことです。

 

例えば,L字型の面積の求め方では,

1 図形をたてに分ける方法

2 図形をよこに分ける方法

3 図形を長方形と見て,余分を引く方法

の3つが出てきます。

 

この3つが,いわゆる考えの広がりなわけです。

僕は,これを「よこのつながり」と呼びます。

 

一方,たてのつながりとは,

本時の課題を解決する際の前提となる既習事項のことです。

たとえば,僕が木曜に行った研究授業では,

課題は「はしたをLを単位にして表そう」で

解決策は「0.1Lを10等分する」でした。

(課題と解決策の整合性はここでは置いておきましょう)

 

この解決策「0.1Lを10等分する」について,

子どもが実際にする作業をスモールステップで考えると,

1 ワークシートの0.1L分の長さを測る(3cm)

2 測った長さを10で割る(3cm÷10=3mm)

3 ワークシートに3mmずつ目盛りをうつ

(4 はしたが目盛りのいくつ分か数える)

 

「10等分」という言葉は子どもたちにとって既習です。

「1/10」や「10で割る」というイメージが

子どもたちの中にあるだろうという想定です。

 

しかし,現実にはそうではないです。

できる子にとっては既習事項は知っていて(わかっていて)当たり前ですが,

算数が苦手な子にとってはそうではない。

 

いざ,「10等分すればいい!」とわかっても,

なかなか動き出せないものです。

 

できる子にとっては当たり前に見えている

(見通しをもてている)ことでも

苦手な子にとってはそうではない。

 

できる子がふつうにやってしまったこと

(思考過程)を

苦手な子にとって見えるようにしてあげることが

大切なのではないかと思います。(思考過程の可視化)

 

*「思考過程の可視化」の必要性については,UDの桂先生(筑波大付属小)も

著書の中で提案されていました。

 

できる子にとってかんたんに見えることは

言ってみれば教師にとってもかんたんに見えることでしょう。

 

この「実際の作業のスモールステップ」をどれだけ教材研究段階で見抜き,

「思考過程の可視化」を授業の中で位置づけるか

が大切なのだと思います。

 

教師や教室にいる一部の子からすれば

一見すると,あっさり答えが出るようだけど,

実は教室にいる少なくない子にとっては

その答えはけっこう深いところにあってよく見えないのです。

 

どうして見えないのかというと,既習事項が十分でないこと(既習事項のつまづき)や

作業の煩雑さ(ワーキングメモリの大きさ)が関係しているのでしょう。

 

それを見えるようにするために,

子どもたちの「わからなさ」を取り上げたり,

できる子の発言を吟味する機会をつくったりするのです。

 

教師がこの機会を大切にすれば,

かんたんに答えが見えていた子にとっては,

自分はこの答えを出すまでにこんなことをしていたんだと

メタ認知することができるのではないかと思います。

また,苦手としている子にとっては,

この課題の答えは,こんなに深いところにあったと

スモールステップや既習事項の必要性に

気づくことができるのではないかと思います。

 

 

 

 

このように考えると,

普段の授業でも考えの深まりについて十分扱うことができるのではないか

というのが僕の提案です。

 

ただの思いつきなので

ちょっと本を読んで理論武装したいと思います。

研究授業,終わる。〜算数科の授業における考えの広がり,深まりとは?〜

みなさん,ご無事でしょうか。

 

うちは床下浸水程度ですみました。

 

今日は畳をあげて,板をとって,扇風機で風を送るようにする。

と文字で書くとすごく簡単なことを2時間ぐらいかけてやりました。

 

できることがあれば,お手伝いに行きたいなと思う今日この頃です。

 

 

さて,木曜日に研究授業(部研)が終わりました。

 

部研なので中学年部の先生が見に来るだけかと思いきや,

けっこう見に来てくださってましたね。

 

まあ,誰々来てるか確認する余裕はなかったですけど。

 

今回の授業をしてみて,成果と課題はそれぞれあるんですが,

自分なりに気になったことがタイトルにも書いている,

 

「算数科の授業における考えの広がり,深まりとは?」

 

です。

 

 

うちの学校の研究テーマに

 

「他者とのかかわりによって,考えを広げ,深める」

 

うんぬんというのがありまして,

 

研究の内容には

 

「子どもたちの考えを広げ,深める教師の切り返し」

とか

「効果的なペア・グループの設定」

とかあります。

 

 

僕は小数の導入の授業をしたんです。

 

「3年生で学習した“1Lを10等分して0.1Lをつくる”をつかって,0.1Lを10等分して0.01Lをつくる」ところです。

 

まあ,いわゆる“よく研究授業でやる”ところではないです。

 

でも,授業の中で子どもたちの「わからない」という声を拾ったり,

 

「わかった」と言う子にヒントを出してもらったり,

 

「ここまではわかるけど・・・」という子の考えを取り上げたりしたつもりです。

 

いつもどおり,短いペアの活動は10回以上入れたんじゃないかな,と思います。

 

 

協議会では「研究テーマには合わないところかな」とか「ここは教えるとこよな」といった声を聞きました。

 

僕は,「考えを広げ,深める」授業(研究授業)って,よくある4年のL字型の面積のとことか,5年の複合図形の体積のとことかの考えがたくさん出るところでしかできないのかな?と思っています。

普段の算数の授業は教えるべき知識があり,考えがたくさん出る場面はそんなにないのではないかと思っています。

研究授業で普段あまりしない授業を一生懸命することにどれだけの意味があるのか。

 

↑は僕のここ数年の算数の校内研究における課題意識です。

 

 

 

「考えを広げ,深めるとは,そもそも何なんだ?」

 

 

僕は思いました。

 

 

疲れたので,今日はこの辺にします。

 

ビール2本目でほろ酔いで,

まとまりのない文章ですみません。

一つの花 教材研究

 

 ・久しぶりにちゃんと教材研究をした。と言っても,2,3時間ほどだけど。

 ・今日までに,教室では3時間ぐらいかけて一つの花をやっている。

 ・第1時 範読(15分もかかってない?) 初発の感想(5分)

 ・第2時 グループで丸読み 絵本「おこりじぞう」読み聞かせ 「気持ちを込めて」全体で丸読み

 ・第3時 グループで丸読み

 ・まず,全文をワードに打った。それをプリントアウト。(今回は家だったのでA4を2枚。裏をテープで止めた。)

 ・一つ一つの言葉に立ち止まりながら,読んでいく。思ったこと,感じたことは随時書き込む。ここで大切なのは,教師としてではなく,一人の読者として読むこと。

 ・この物語で子どもたちに読ませたいこと(考えさせたいこと)を考える。

  僕は,①戦争の非情さと②ゆみ子に対する父と母の愛情にした。

 ・その後,子どもたちの初発の感想を全て打って,プリントアウト。全体の読みの傾向を見る。全体的な傾向として,①悲しい・かわいそうな話(9人),②父・母のやさしさ(4人),あとはバラバラだけど,語り手の視点に関わる感想がいくつかあった。語り手の視点は,「ごんぎつね」でも出てくるけど,ここでは触れないかな・・・。

 ・読みの技術(読み方)として,クライマックスの検討や中心人物の心情の変化など教えたらいいだろうなということはあるけれど,3時間しか読みの時間が取れないし,この教材にあった内容を扱いたいので,第2次の指導計画は,

  第1時 設定を読む。

  第2時 お父さんとお母さんのやさしさを読む。

  第3時 最後の場面は明るい? 悲しい?

  にした。

 ・第1時は,物語の冒頭を丁寧に読みたい。いまの自分と比べながら,ゆみ子が生きた「戦争のはげしかったころ」のことを他人事ではなく,物語の世界に入って読み取りたい。ここは,一問一答型の授業になるかなと思う。ワークシートを準備して,子どもたちがそれぞれの読みを書き込めるように工夫したい。

 ・第2時は,お父さんとお母さんのやさしさを読む。初読の感想でも何人か触れていること。初発の感想を紹介しつつ,具体的な父と母の言動にサイドラインを引かせる。その時の父と母の気持ちは・・・考えさせる?考えられるかな? まあ,ここは人物像の授業としても扱える。どうしようかな。

 ・第3時は,十年後の場面を扱う。ここは,至って明るく書かれているように感じるけど,実際は戦争の爪痕が至る所に残っている。子どもたちも父の死とゆみ子に父の記憶がないことを初発の感想に何人か書いていた。一見明るく書かれているようだけれど,まだ“戦争”によって貧しい生活をしているゆみ子とお母さんを読む中で,戦争の非情さに少しでも気づけたらいいなと思う。