研究授業の振り返り

1 今回の研究授業について 〜授業前に考えていたこと〜

 ・【目標と評価】今回の授業で僕が子どもたちにさせたかったのは,「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」ということだ。正直ふだんの授業ではそこまで考えないけど,研究授業をするときは「この時間で子どもたちにさせたいことは一言でいうと何か?」について自分の中ではっきりさせることを大切にしている。ポイントは“一言でいうと”というところ。研究授業はしっかり教材研究するから,1時間にいろいろと詰め込みたくなる。でも,本時で子どもたちにさせたいことを1つに絞るところまでが教材研究なんだと思う。まあ,今まで詰め込み過ぎて時間内に収まらなかったり,「結局何させたかったん?」という授業を山ほど観てきた。それは若い先生であっても,ベテランの先生でもあっても変わらない。普段の様子を見ていて,「この先生はすげえなあ」っていう先生でも,やっぱりそういうことはあった。

・そんなこんなで,僕は「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」を本時の目標にした。(正確には,「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくろうとする(関心・意欲・態度)」)この目標にしたのは,既習事項(3年生)である「1Lを10等分して0.1Lをつくる」を用いて,本時の課題を解決させたかったから。

・肝心の3年生の教科書で「0.1Lを10等分して,0.01Lをつくる」ところを確認すると,実際に10等分する作業(目盛りを入れる)はやっていないことがわかった。「10等分する」といっても,①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れるという3つのステップがある。子どもたちにとって,「1Lを10等分すると,0.1L」という知識自体は既習だが,「どうやって10等分するか」のHOWの部分は未習である。そこを踏まえて,授業の流れを考えた。

・評価が関心・意欲・態度だけというのはやっぱりマズいかなと思い,練習問題の小数第2位までの小数の読み取り?(この表現は怪しい・・・)も知識・理解で入れた。ついでに書いておくと,練習問題は2問は必要だと思っていた。本時の例題(最初にやる問題,本時のメイン)では,小数の読み取りが一応のゴールだけど,実際には0.01Lをつくったり,その定義を確認したりすることに多くの時間が割かれる。例題のあとに出てくる練習問題は当たり前だけど小数の読み取りなのである。これはなかなかできない。例題で一応小数の読み取りをやっているけれど,その読み取りをする途中にいろいろと邪魔が入っているから,小数の読み取りという作業の一連の流れが捉えづらい。特に低位の子たち(ワーキングメモリの小さい子たち)にとっては,多くの時間を割いたところばかりが頭に残り,練習問題と向き合ったとき,たぶんちんぷんかんぷんだと思う。だから,例題のあとの練習問題はみんなで一緒にやること・・・小数の読み取りの一連の流れを見せてあげることが必要だと思う。それをした上で,やっと自分でさせる練習問題だ。まあ,1,2回みんなでやったぐらいでは難しいだろうけど。

 

2 本時の最大の問題点 〜目標はやっぱり1つに絞るべきだった〜

・それは本時の目標を2つにしてしまったことだ。それが原因で,いろいろと不具合が出てしまった。

・まず,教師がしゃべりすぎたということ。目標を「10等分する」だけに絞っていたら,もっと余裕をもってできたと思うけれど,知識・理解(小数の読み取り)も目標に入れてしまったがために,時間的・精神的な余裕がなくなってしまった。クラス全体を見渡す余裕もなく,子どもたちの言葉に耳を傾けることもできず,ただ授業を進めることに一生懸命になってしまった。

・いや,本時の最大の問題点は,「10等分させることに固執した」ことなのかもしれない。協議会でも「10等分させる必要があったのか?」ということが話題になった。正直なところ,10等分する(①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れる)ことが子どもたちにとってどれだけ難しいことであるのか,僕自身がよくわかってなかった。子どもたちはよくがんばっていたけれど,僕の不親切なプリント(3mmずつ目盛りをとっていく)では手先の器用な子はなんとかできるかもしれないけれど,そうじゃない子にとっては相当厳しい。

・算数的には既習事項を使って問題を解くということは価値が高いとされている。しかし,算数では1時間1時間に学ばせなければならないことがちゃんとある。本時においてのそれは,練習問題の「小数の読み取り」なんだと思う。“させたいこと”と“させなければならないこと”のバランスをどう取るのか。研究授業が打ち上げ花火で終わらず,日々の授業にも生きるものにしようと思えば,“させなければならないこと”は必ず押さえなければならないと思う。

・では,本時はどうすればよかったのか。それは「10等分させる」のではなく,「10等分するというアイディアを出せたらOK」とすればよかったと考えている。子どもたちにとって未習であり負荷の高い作業である「10等分する」のHOWのところをさせようとしたがために,本時はめあてを出すまでに25分かかってしまったし,既習を使って自分でやるというよりは,先生の言うことを聞きながらなんとかついていくという感じになってしまった。

・僕が大切にしていた「10等分する」という作業は,子どもたちにとって既習ではなかったのだ。見方によっては,本時の大半の時間は「10等分する(①長さを測る,②測った長さを10でわる,③目盛りを入れる)」のスキルを身につける時間になっていたのではないか。そう言われても仕方ないと思う。

 

3 本時の練習問題が解けるか否か

・本時の目標を考えるとき,何をもとにして考えるのか。その一つが練習問題だろう。例題ではいろいろなことをやりたくなるし,やらないとマズいんじゃないかとさえ思ってしまう。でも,まあ練習問題が解ければOKなんじゃないかと思う。中学校の数学の先生が「小学校は練習問題にもっと時間をかけた方がいいんじゃないか」と言っていた。教育委員会の先生が「本時の目標は知識・理解になってるけど,理解するのには1時間じゃ難しいよねえ」と言っていた。算数が堪能な先生は「知識や技能は単元末のテストでみる。1時間の授業では基本的にどの時間も数学的な考え方をみる」と言っていた。まあ,この辺りは,その人の教育観というか授業観というか算数科観というか,根っこのところにかかわるところかなと思うので,深追いはしない。

・いやー,それにしても冒頭に書いたように頭ではわかっていたつもりだったけど,実際に授業をするとなると,なんかいろんなことを考えてしまって,結局同じ轍を踏んでしまったなと思う。